国際ジャーナル(2008.7)掲載

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刀林(慶応大学医学部外科同窓会 第91号)掲載

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巻頭言 ほほえみ第50号(平成20年6月号)

 ここ数年は5ヶ月毎に発行している「ほほえみ」が通算50号になりました。「ほほえみ」は当法人の記録であり、巻頭言を連続して書いている私自身の記録でもあります。私が理事長になってからの14年間には様々な出来事がありました。何といっても98年に国の補助金をもらって病床数を増やさずに療養棟を新築し、既存棟を改修したのが印象に残っていますが、10年も経たないうちに介護療養が廃止になるとは思ってもいませんでした。01年に老健おおぞらにケアハウス(県内初の医療法人立)、通所リハ施設、グループホームを併設し、病院隣接地にショ-トステイ専用棟と職員休憩所を造り、06年にショートステイ棟移転新築と通所リハ施設を開設し、07年には土蔵造りの商家を改装して小規模多機能居宅介護を開設しました。ソフト面では訪問看護ステーション、ホームヘルパーステーション(後に閉鎖)、県内唯一の特殊疾患療養棟の開設や、おおぞら在宅介護支援センター・地域包括支援センターを受託しています。振り返ってみると、政府の医療・介護政策に振り回されているだけとも云えます。

 

さて、今春は当法人から正看6人、准看1人の大量合格者がでました。手厚い支援体勢があるせいか、現在9人の看護学生がおり、頼もしい限りです。殆どが主婦であり、仕事・家庭・受験と大変ですが、どうか初志貫徹して下さい。

 

また、今年開校した富山福祉短大の看護研修施設になりますが、指導者研修修了者を中心に受け入れを万全にし、短大看護講師の方との看護教育などで当院と交流が図れないかと期待しています。

 

4月から訪問リハビリの常勤療法士を4人に増員しましたが、多くの開業医の先生方からの依頼がきています。基幹病院との連携は勿論のこと、開業医の先生方との連携を充実させたいと思っています。医療療養は医療区分2-3患者が8割以上を占めていますが、夜勤ナースを2人に増員しました。医療も介護も必要な重症患者や医療系ショートステイの受け入れを万全なものに近づけたいと願っています。また、1月から看護基準を13対1にアップした一般病棟では、冬場の悪条件の中で何とか平均在院日数をクリアできました。

 

泊りが殆ど無く、通いが中心の小規模多機能「ひかり一番町」で、認知症の方の著明改善例をみて、グループホームとは一味違った認知症ケアの実態に新鮮な驚きを体験しました。

 

さて光ヶ丘病院開設以来、勤務していただいている林総婦長が高齢のため、6月から徐々に新人事に移行します。中島看護部長、角谷・谷崎副看護部長を中心に皆で力を合わせてフレッシュな気持ちで業務に取り組んでください。大幅な人事異動を伴いますが、決して他人の揚げ足をとることはしないで、真摯に医療や「ケア」の質の向上を目指し、新しい風を吹かそうではありませんか。

 

紫蘭会理事長  笠島 學

特別寄稿 ほほえみ第49号(2008年1月)

『笠島理事長・副理事長方の地域医療・介護・特殊疾患診療等へのご貢献に関する
大学勤務医の立場からの評価』

 

前 富山医科薬科大学医学部
外科教授 山本恵一

 

  紫蘭会の弘報誌「ほほえみ」は毎号お頒けいただいて精読する機会を得ておりますが、故尊父 笠島宗夫先生が既に三十年以上も前に、来たるべき今日の医療界の大変革を見据え、旧市街地の医院を現在地に移して、壮大な構想を夢見ておられたことは、ご生前親交を賜わつていた私は存じておりました。しかし四八号を超える各号を通覧して思うことは、尊父のご計画、期待を数倍超越して、全国的視野から見ても、診療(健診・治療)介護のみならず、長期ケァーを要する特殊疾患(難病)専用病棟まで整備された他の追随を許さないユニークな地域の中核施設にまで発展されたことは、唯々驚嘆のほかありません。本号に拙稿を提出せよとのご依頼に接し、これまで戴いたご交誼の数々が脳裏をよぎるのですが、まずは紫蘭会員の皆様がこれまであまりご存知なかつたであろう笠島 学理事長の富山医科薬科大学(現 富山大学医学部)時代のいくつかの注目すべき御業績を記し、責を果させていただきます。

 

  1.笠島先生を富山医科薬科大学第一外科へ招聘したいきさつ。昭和五六年、大学創設後五年経つて附属病院も整備され、日々の臨床教育、診療、研究も漸く軌道に乗り始めて来た頃、一番困つたのは優秀な教官の不足でした。新設医校として、隣県の金沢大学に負けるな!金沢大学を追い超せ!の理想に燃えていた私たちは、全国の医学部、病院に向けた招聘運動、勧誘に取り組みとくに富山県出身者で、各大学で活躍中の方々に焦点を合わせて励みました。その中に、丁度慶応大学医学部を出て、静岡赤十字病院外科におられた笠島先生を識る機会があり、尊父も令息の富山医薬大勤務を望んでおられるという好条件もありましたが、当時の笠島先生ご自身は臨床研修の機会の豊富な関東近郊での病院研修になお未練がおありであつたようでした。しかし尊父と私どもの期待に応えて昭和五七年に来富が実現しました。

 

  2.笠島先生の富山着任後、臨床指導臨床研究上とくに顕著であつた成果。   a.当時北陸では漸く実用化しつつあつた、腹部超音波検査、超音波内視鏡検査等について、すでに二千例を超える経験をお持ちの先生は、着任後即時に附属病院外科、内科を問わず消化器部門(肝、消化管)より指導を乞われる立場となられ、その優位は数年揺らぐことはありませんでした。   b.それに加え、前任病院での経験を超えた胸部諸疾患(とくに心臓・大血管)に対する超音波検査技術の開発に着手して、その実用化を達成されました。わが第一外科は心血管外科担当科であるゆえ、多数の患者が恩恵を被つたこととともに、全国諸大学、病院に伍して学会などでも先端的な発表を試みることが出来ました。   c.乳腺疾患、とくに乳癌の超音波診断(集団検診を含む)に多大の協力をされたこと。先生の着任当時は現行のマンモグラフィーは未だ実用化されておらず、体表走査型超音波検査が、ベッドサイド、および集検上繁用されていた。附属病院での実技指導に加えて、年間に三、乃至四万人を対象としている富山県健康増進センター(日本対がん協会富山県支部)のがん検診活動に協力すること多年に及んだことで、同グループを含めて、県医師会が協会表彰を受けたこともありました。

 

  3.慶応大学時代から引続いて担当されていた原発性肝癌に対する切除療法の指導、ならびに切除材料を対象とした臨床病理学的研究、とくにその病理形態と切除後治癒率に関する研究(学位論文)。笠島先生は前任大学時代より、同大学外科 都築俊治教授との共同研究を展開中であり、富山着任以前から同大学外科で取扱つて来られた多数の肝癌症例に対する切除経験に基く手術指導をされました。それに加え、研究途上にあつた肝癌切除標本多数の病理形態上の特徴と、切除後の治療成績(予後)との相関についての研究を完成され、学位請求論文として富山医科薬科(教授会)へ提出されました、当該研究はわが国では得難い外科切除肝癌に対する臨床病理学的研究として今も高く評価されています。以上が富山大学医学部の創建当時、私どもの医学教育の現場に身を挺して参画され、ややもすれば臨床面では他県の後塵を拝し勝ちであつた富山県の医学振興に貢献して戴いた笠島先生のプロフィールの一端をご紹介申し上げた次第です。今や地域医療・介護・特殊疾患診療の分野において、私どもとは多少趣の異なる領域であるとは申しながら、往年に勝るご活躍を展開しておられる紫蘭会スタッフ各位の益々ご発展を祈りつつ、筆を擱かせて戴きます。

特別寄稿 ほほえみ第49号 (2008年1月号)掲載

『山本恵一先生(富山大学名誉教授)との思い出』

 

 私が母校で6年の研修を終えて関連病院である静岡日赤外科で3年目を迎えた時、突然、父が設立した光ヶ丘病院を手伝うことになり、かなり焦心していた頃、山本教授に富山医薬大第1外科に来いと誘われたのは光ヶ丘病院ができた昭和56年でした。大学には11年いましたが、静岡日赤で始めていた超音波診断を自由にやらせてもらい、学生に教えた位しかお役に立てませんでしたが、肝癌腫瘍血栓の仕事のほうは先生のおかげでまとめることが出来ました。山本先生は、落ち込むとか、くよくよすることとは全く無縁の方で、長時間の手術も疲れを知らず平気でこなされました。常に低姿勢で温厚な紳士であり、笑顔があり、繊細な面を持ち合わせておられます。深部の結紮法や強い緊張のかかった結紮法は先生から身をもって教わったことや、私が不用意な発言をした時、すぐに謝罪の場を作っていただいたことなどが思い出されます。また、先生は、達筆な上に筆まめであり、ほほえみを送ると、必ずすぐ手書きで丁寧な返事がきます。金沢にお住まいですが、毎日のように富山に来て富山県の多岐にわたる仕事にご活躍ですが、どこにあんなすごいパワーがあるのか、今だに不思議です。

 

理事長  笠島 學

最新医療経営 Phase3(2008.1)掲載

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巻頭言 ほほえみ第49号(平成20年1月号)

 この号が出る頃は新年になりますが、穏やかに、すがすがしい気持ちで新しい年を迎えられたことと思います。今期は、ショートステイ専用棟は増床新築により、在宅療養の受け皿として着実に機能してきたことや、リハビリ専門職を増員した病院と老健の2ヶ所の通所リハビリが好評なこと、訪問リハビリが多くの医療機関からの依頼を受け、定着したこと、入院患者数や要医療ショートステイ利用者の増加などがあり、何とか順調に経過しています。職員数も増えましたが、何といっても、やる気のある職員が多くいて、それなりの成果をあげたことに感謝しています。これからも、学会発表は勿論、研修や看護学生養成を含めた人材育成に、お金をかけて、力を入れていくつもりです。

 

療養型主体の光ヶ丘病院を核として、医療もケアも重症の患者さんを積極的に受け入れ、在宅を重視し、リハビリを充実させ、地域連携や予防分野を地道にやっていく方向性は間違っていないと思っています。

 

1月から一般病棟の看護基準を1ランク上げます。夜勤に正看配置を継続するのは難関ですが、何とか乗り切っていき、むしろ更に1ランク上げたいと思っています。今年は看護学生がいっせいに受験準備のため、短期間、特に2月が手薄になりますが、職員の皆さんのご協力をお願い致します。

 

4月の診療報酬改定で、県内で唯一有している特殊疾患療養病棟が廃止から一転継続となりますが、脳卒中が対象疾患より除外されます。是非とも継続できるよう、県内の病院に今から働きかけていきます。4月から特定健診・特定保健指導も始まります。年間4千人以上の検診・人間ドック受診者がいるサンシャイン・メドックでは、当然保健指導をやりますが、既に飽和状態である現在より更に受診者の増加が予想され、スペース的にも余裕がないため、保健指導は少人数しかこなせないかもしれません。

 

当院の大きな問題は、あと4年余で廃止が決まっている介護療養病床をどうするかです。百二十床全てを転換老健にすることは、幸い1床8m2をほぼ確保している為、転換するのは容易ですが、そうすると大幅な減収は避けられず、医療も介護も必要な重症患者さんが大部分を占める病棟で、現在の医療やケアのレベルを維持するのは極めて困難になります。4月から脳卒中の地域連携パスが稼動しますが、高岡医療圏内の回復期リハビリ病棟は急性期の厚生連病院しかなく、リビリ療法士が10人以上配置の脳血管リハビリ1の届出は当院のみであることを考えると、回復期リハビリ病棟取得の最短距離にいるといえますが、一般病棟と競合するし、新たに夜勤ナースが必要となる病棟を増やすのは得策ではなく、将来一般病棟でいくか回復期リハビリ病棟でいくかの選択をする時期がくるかも知れません。病棟交換で医療療養を51床から60床にふやすのは、医療療養は今後の需要が高く、当院は十分対応ができますが、病棟過多の本県では、まず許可が下りないと思われます。

 

納得のいかない医療費抑制政策のもとで、医者不足、ナース不足に加え、介護職のなり手がいなくなり、患者さんにも医療従事者にも選ばれる施設とそうでない施設との2極化が益々進んでくると予想されます。我々は質の向上を粛々と行い、患者さんからは信頼され、選ばれる法人であり、職員がやりがいや誇りを持って働ける法人となるよう努力を重ねていきたいと思っています。

 

紫蘭会理事長  笠島 學

特別寄稿 ほほえみ48号掲載(平成19年8月号)

中国長春に安君先生を訪ねて

理事長  笠島 學

 

 私どもが日本での初回研修のお世話をしたのが縁で、長年にわたり親交のある安先生が、瀋陽の中国医科大学教授から長春の吉林大学第一医院教授に移籍されたのを機会に、6月に高岡ライオンズクラブの仲間3人と2年振りに中国の安先生を訪ねてきました。

 

吉林省の省都である長春は、満州時代は新京と呼ばれる首都でした。遼寧省の大連や瀋陽と比べるとまだ開発途中ですが、素朴さを残しており、満州時代の建物をうまく活用しています。若い人が多いし、建築ラッシュが続き、活気に満ち溢れていました。安先生からのメールで、リハビリについて皆が知りたがっているので、講義をしてくれと依頼があり、日本のリハビリの現状について、リハビリの素人である私が安先生の通訳で話すことになりました。

 

国産車「紅旗」を製造した第一自動車が経営する病院が吉林大学第四医院に移管したのですが、そこに一番広い講義室があるので会場となりました。吉林大学と吉林省リハビリ学会との合同招待講演の形で、テレビ中継もされるという大げさな事態に驚きました。講演の前後には数人の指導者の挨拶がありました。質問は、理学療法士と作業療法士の違いは何かとか、医療チームの中にカウンセラーは入るのかなど、返答に戸惑うこともありました。大学に相当数いるリハビリ医は、疼痛に対する物理療法が主な仕事のようでした。畳がある日本家屋の一軒家に療法士が出向く「訪問リハビリ」の写真を見せましたが、彼らにとっては新鮮な驚きだったでしょう。

 

安先生と旧交を温め、日本留学の経験があるリハビリ科の劉教授、李教授とも懇談でき、日中友好の輪を更に広げることができた中国訪問でした。

特別寄稿 ほほえみ第48号(2007年8月号)掲載

笠島學理事長先生との付き合い

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中国吉林大学第一医院 心臓外科教授 安君

初めて笠島 学理事長先生に会ったのは20年前 笠島 先生と当時富山医科薬学大学(富山大学)第一外科心臓外科を主宰された上山 武史 先生らが、中国延吉市にある延邊大学病院を訪れた時でした。当時中国は世界に自分のドアを開けたばかりの時期でした。ちょっとしかできない日本語、そして下手な発音で患者の術前討論で症例を紹介したことは今でも覚えています。

 

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笠島 先生と知り合ったのがきっかけで翌年の桜の満開のシーズンに笠島 先生のご援助で当時上山 武史 先生主宰される富山医科薬学大学(富山大学)第一外科心臓外科で3ヶ月臨床研修することになりました。専門ばかりでなく、笠島 先生の親切に作って頂いたスケジュールで初めて日本の歴史、文化や自然に触れることができました。短い研修でしたが私の人生でいえば充実な研修でした。その後日本の国費留学生に選ばれて、再び日本に来て4年間の研究を終えて医学博士を獲得したのです。日本に滞在中笠島 先生のご招待で何回も高岡に参ってお世話になったことがありました。私の心には、高岡は私の日本の故郷に思っています。帰国してからも笠島 先生は当時私が勤めていた中国医科大学を訪れ、そして老人病分野でのご講義は素晴らしい評判を受けたことは今でも昨日のことのように覚えています。とくに今年、現在私が勤務している長春市を訪れた時吉林省医学会、吉林大学第一医院、吉林大学第二医院、吉林大学第三医院と吉林大学第四医院(中国自動車グループ医院)の共同主催で開かれた笠島 先生の特別招待講演は160人以上の関連出席者(医師、作業師、看護婦さん)の参加で大成功したのは吉林省リハビリ分野では初めでした。このことは地元のテレビでもニュースとして放送したし吉林大学のインターネットでも記載したのです。特にご講演のラストのスライドでの先生の“日中友好”の言葉は多くの出席者の心を温かくしたに違いないです。笠島先生もその夜の宴会で吉林大学第四医院(中国自動車グループ医院)の楊 教授の先生のこのスライドの“日中友好”の言葉に感動しましたという言葉をおぼえているでしょう。こんな公私混ざった個人の友好関係で色々な分野で交流をするのもいいことではないかとおもいます。20年にわたる笠島 先生との付き合いは、時の流れによってますます深まっていくことは私の人生の宝物の一つです。

 

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中日両国は歴史観などの違いで近年に来て両国関係はあまり良くないのは事実です。だが、これらのことは専門分野や民間交流に影響を与えずに未来に向けて続けていってほしいです。国と国の関係は国の利益ためよい時期とわるい時期がありますが人と人の付き合いは心の交流だと思っています。こんな付き合いは政治などの影響を受けずに純粋な人間同士での交流にするには人類のもっとも素朴なものではないかと思います。私は平凡な医師です。日本での留学経験を生かして、専門分野では勿論、微力ではありますが、中日友好のために努力していきたいのは本音です。

最後に光ヶ丘病院のますますのご発展をお祈りながらこのへんで失礼させて頂きます。

 

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巻頭言 ほほえみ第48号(平成19年8月号)

マンモグラフィー(乳房X線撮影)読影更新試験が終わったばかりですが、何とか合格ラインに達したので、ほっとしています。6月30日に開催した介護教室に参加された40余名は殆どが何度も参加されておられる地元の方であり、地元産野菜・卵の即売も好評で、地域に根付いた会となりました。秋の健康教室は10月13日に行われますが、私の講義もあり、地元産の即売会も行ないますので、参加をお待ちしております。翌日の7月1日は26年前に病院が開院した記念日でしたが、街中で土蔵造りの商家を改装した小規模多機能居宅介護「ひかり一番町」の開所式が行なわれました。通い・泊まり・訪問を1箇所で行なう地域密着型の新しい形態の介護サービスです。常勤のナースがおり、医療面での対応もできます。当日の見学者は百人ほどありました。18名の登録者を募集中です。地域の方に信頼され、気楽に安心して利用できる介護拠点として羽ばたいていくことを期待しています。

 

当法人で、今年の看護師の合格者は通信過程2名を含めて3名であり、准看護師合格者5名の殆どは正看学校へ進学しました。新たに通信過程に挑戦する者も3名おり、頼もしい限りですが、初志貫徹を願っています。また、介護福祉士の合格者は13名で、昨年の13名に引き続き、大量合格となりましたが、自覚と自信を持って介護の質の向上に取り組んで欲しいものです。

 

介護療養病床は5年後に廃止が決まっており、当院は百二十床を有しています。転換先として医療機能強化型の老健などが候補にあがっています。厚労省は、利用者や家族が将来どうあるべきかの観点でなく、単に財政的理由なので、発言が無節操に変更してきています。ここはじっくりと腰をすえ、熟慮すべきでしょう。療養病床の数などを決める県の会議が7月から始まりますが、私が県老健会長として2部門の委員に選ばれましたので、全国画一で押し流されること無く、実情にあった県独自の施策がなされるよう積極的に発言していきたいと思っています。

 

来春から始まる特定健診がどのような形態になるのか未知数ですが、年4千件の実績のあるサンシャインメドックの4人が研修しており着々と準備を進めています。一般病棟の平均在院日数が急に短縮し、おおぞらや光ヶ丘病院の通所リハビリなどで、リハビリの加算やマネジメント加算取得者が増加し、訪問リハビリは月三百例に達するなど、各部署ごとの成果が出てきつつあります。安心して継続して地域の中で療養生活が送れるように在宅サービスのケアの質の向上を図るとともに、施設サービスを質・量ともに益々充実させ、職員の皆さんが誇りを持って仕事が出来るよう、環境作りに努めたいと思っています。

 

紫蘭会 理事長  笠島 學