特別寄稿 ほほえみ第58号(平成23年12月号)

特別寄稿 ほほえみ第58号(平成23年12月号)

2011.12.01

『長生きの母から学ぶこと』

     浜松医科大学 学長 中村 達

 私の母は96歳と半年で生存中。家内と毎週母を施設へ訪ねて行っている。父が87歳のとき癌で他界する前、母は父を看病していた。86歳の母にとっては過労だったのでしょう。私が相談を持ちかけられたのはヘルペス(帯状疱疹)で生じた水疱が全て潰れ、いくつもの大きな瘡蓋(かさぶた)で覆われた左下肢が痛くて歩けなくなってからのことでした。父も母も私の勤める病院に入院させ、病棟こそ違うが、会いたくても会いにいけないほど酷いヘルペス後の神経痛になっていた。父が亡くなって、母はお葬式にも出られず、亡くなる寸前父の手を握ってお別れしただけで、結婚生活64年に幕を下ろしました。

 以来、私と家内の生活に母の面倒を見る仕事が入りました。頭はしっかりしているけど、足が動かない、脚を挙げられない、歩行器で引きずって歩けるという状態になった。知り合いの紹介でグループホームに入れていただき、面会に行くと、「ヘルパーさんの誰々さんがどうだこうだ」

と評価するが、自分がどんな立場に

立っているのかを理解していない。昔、学校の先生をしていたものだから、そんな見方で見ているようだ。母は私に叱られ、しょんぼりとなってしまう。私どもが家へ帰るとき、いつも家内は母を叱る私を叱る。祖そんなことを繰り返しているうち10年が経ってしまった。

 母が94歳のある時、意識が薄れ、緊急で私の病院へ転院させたところ、心不全であった。1週間ほど点滴だけで水分と栄養を摂り、ベッドの上に2週間寝ていて回復し、退院した。回復はしたものの、歩行器で歩くこともできなくなってしまった。母は頭だけしっかりしていながら、階段を下りるように弱っていくのがよく

見えた。つい先日も、意識が薄れ、ベッドから動けなくなったので血液を見ると、血中ナトリウムが122mEq/l(ミリエキュバレント・パー・リットル)で、教科書で教わったように低ナトリウム血症による意識低下であった。梅干しを毎日1個、昼は塩こんぶをご飯にのせたら、回復して笑顔が見れるようになった。上限下限の閾値が狭くなった老人をみるのは大変なことだ。それをケアハウスやグループホームなどで管理するなど大変なはずだ。これが人間の一生を自然に終息していく姿かなと思った。いずれにせよ、こんな弱った人間をお世話していただいている若いヘルパーのみなさんのご苦労に対しとても感謝している。

 母はなぜこんなに長生きしたんだろう。戦時中食糧難であったこと、母が魚屋の娘だったこと、昔は鰯が安く手に入っていたこと、遠いところへ長年勤務で一日一万歩以上を毎日歩いて通勤していたこと、女性でエストロゲンが長く分泌され、コレステロールが抑えられていたこと、いつも腹八分目しか食べない人だったこと、などが浮かぶ。これはセンテナリアン(百寿者)に達した人に共通する項目だ。人間が長寿を願って薬草を探して来たのは秦の始皇帝のころから知られている。その始皇帝は51歳で死んだ。米国ハーバード大学で最近発見されたものに、赤ブドウ、赤ワインにレスベラトロールというポリフェノールの一種が含まれており、マウスを用いた実験で100種もある老化の原因が有意に抑制されたという。人間に効くかどうか分からないのにすでにサプリメントとして爆発的に売れている。レスベラトロールなる物質を呑んで、老化の原因を抑えながら満腹になるまで食べたい人が五万といるという訳だ。片や、がつがつ食べるより、日常の25~30%のカロリー制限をすると若返る遺伝子が活性化するという報告がある。母を見ていると、食欲という人間の本能を抑え、肥満にならず腹八分目食べることにより自然体で長生きしてきたのではないかと思う。ひとは皆一生しかない。一度しかない人生を満腹という欲望を抑えて生きてみようと思っているがもう遅いだろうか。

 

H23.11.7

 

『中村学長先生のこと』

理事長   笠島 學

2年先輩の中村先生は慶應肝臓外科の都築ご夫妻を囲む会で定期的にお会いしていますが、常にエネルギッシュで、人を惹きつけ、人を引っ張っていく魅力にあふれています。また、海釣りや自宅菜園が趣味で、採った魚や野菜果物を自分で料理する自然人でもあります。この度は学長業務で多忙な中、老人医療・介護に関する考えをお聞かせくださり、誠に有難うございました。